2.何故白人指導者は無理矢理青年にボールを蹴らせたのか

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大英帝国の植民地支配

 

19世紀の帝国主義時代、イギリスの植民地は地球を一周しています。日の沈まぬ帝国です。アジアへの進出は1600年の東インド会社設立からはじまり、オランダやフランスなどと植民地争奪の争いを続けながら1858年にはインドのムガル帝国を滅ぼし、ヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国を成立させました。この植民地支配がスポーツの伝搬に関連しているようです。カシミールの青年にサッカーを強制したビスコーという若い教師もイギリスから来た宣教師でした。実はビスコーはサッカー以外にもクリケットやボートなど様々なスポーツを伝えたようです。ビスコーはパブリックスクールからケンブリッジへ進学したエリートの一人。卒業後宣教師となったビスコーは弁護士、陸海軍士官、医者、植民地行政官、大貿易商等と同様イギリスのジェントルマンであり、イギリスの文化や政治経済に誇りを持ち、その文明を植民地へ広めていくことが後進国への自分たちのなすべきことととらえていたようです。自国の文明を最高のものととらえ支配地域へ広げていくことは実質的には文化的な侵略でもあります。サッカーをカシミール地方へ広めていこうとしたこともその一部です。

 

   つづく・・・