3.パブリックスクールと植民地支配

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モブフットボール英語版」と呼ばれることがあるイングランドで行われていたフットボールの初期の形は、近隣の町や村の間で行われていた。モブフットボールは隣の教区との間の開けた場所で行われ[24]、人数は無制限であり[25]、膨らませた動物の膀胱[26]といった物を特定の場所(相手の村の教会など)に移動させることを目的に争われた。この競技は懺悔節クリスマス復活祭[26]といった重要な宗教的祭りの期間に主に行われ、シュローブタイドゲームはイングランドの多くの街で現代まで生き残っている (Wikipediaより)

このフットボールパブリックスクールで行われルールが整備され、ラグビーやサッカーへと発展していったことは有名です。パブリックスクールで育てられる強靱な身体と豊かな教養はイギリス人ジェントルマンとしてのステイタスであり、ビスコー等植民地支配に赴くイギリス青年の備えた資質であったようです。彼らが植民地にイギリスの近代スポーツを持ち込むことは当然の成り行きだったと思われます。インドにはカバディ(kabaddi)という2000年以上の歴史を持つ身体運動(ゲーム)があったのですから、サッカーなどの近代スポーツを持ち込強要していったのは文化的侵略とも言えるのではないかと思います。